木野川ひな流し(両国橋下流)

3月3日頃の日曜日、小瀬川流域にある両国橋下流で「ひな流し」が行われます。(広島県大竹市)
木野川となっていますが、小瀬川流域です。ここは、広島県と山口県の県境です。
このあたりに木野集落があり広島県側が木野川と呼んでいたそうです。
現在は、大竹「ひな流し」で知られています。



雛流しの起源はさだかではありませんが古くは平安中期源氏が須磨の浜にでて、船にものものしい人形を乗せ、
「知らざりし大海原に流れ来て ひとかたにやは物はかなしき」と詠って、行ったひな流しのことが記されています。
木野川の雛流しは、江戸中期町人文化が潔く華やかになり、庶民の間でも生活が華やかになり、
人形雛や土雛が飾られるようになって、飾り古びたもの、壊れたものを三月上巳の節、水辺に出てこれを流しました。
また、紙などで作られた人形雛で身を撫で、身の災いをそれに移して女の厄払いや縁結びの願いがなされました。
これを撫でもの又は形代と言ったといわれています。
流し雛は、わたのはらをはるばる紀州加太に漂着して淡島明神にとどき、それぞれ神慮により願望が叶えられ、
手足の取れた雛が五体満足になって帰って来ると言い伝えられています。
従ってここでは「雛去(い)なし」又は「雛送り」と言いました。
明治末期から大正初めには雛流しが処々で見られましたが、次第にそうした情景は見られなくなりました。
現代の流し雛は、戦後復活したもので、紙粘土、ようじなどで形作り男は金色の冠、女は髪を黒くし、いろいろな紙を使って着せつけ、
折敷に貼り付けます。節句には雛段に飾り三月の初中旬の頃川辺にもっていき桟俵に供物と共に乗せ、
「災厄から守ってください」「元の綺麗な身体になって帰ってきてください」と祈りながら川に流すひなびた行事であります。

両国橋下流がメイン会場です。他に(防鹿前渕渡前、青木神社前、住吉神社前)メイン会場の流し始めは11:00より。



桟俵は、大竹市内の女子児童がいる家庭に配られます。
制作したのを持ってきて、各会場で流します。配られた物は、こんなのです。



流します。流す行列がいっぱい。流した後は手を合わせます。


下流に流れていきます。


流し台は川に設置されているので、離れた所でも撮れます。
高台からでも山口県側からでも。画像は高台から。



2023年におこなわれた「木野川、大竹ひな流し」の様子です。

~両国橋~
JR「大竹駅」下車、バス「中津原」下車。


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