近江神宮流鏑馬(近江神宮)

6月第1日曜日に近江神宮で流鏑馬が13:00に行われます。(滋賀県大津市)
近江神宮流鏑馬は11月3日におこなわれていましたが、2015年より6月第1日曜日に変わりました。
近江神宮の流鏑馬は武田流の流鏑馬です。それぞれが競い合って勝敗を決します。
神事(12:30)は本殿で行われますが非公式です。
流鏑馬を見るには有料席と無料で見ることが出来ます。有料席は一列席で番号の席に座る形式。
前売りで販売されますが、当日も若干ですがあるようです。無料で撮ってみました。

流鏑馬の起源は…
第29代欽明天皇が国の内外の戦乱を治めるため、九州・豊後の国、宇佐において、馬上より3個の的を射られ、
天下泰平、五穀豊穣を祈願されたのが矢馳馬(流鏑馬)の初めとされています。
第59代宇多天皇の勅命により、源能有公が弓馬の礼を制定され、
以来源家を経て、鎌倉時代、武田、小笠原の両家に相伝され、
室町時代、武田家は甲州(山梨)、芸州(広島)、若州(福井)の国主になりましたが、
弓馬の礼は芸州の武田家が司っていました。
徳川時代には両家(小笠原は備前家)とも肥後細川家に寄頼し武田家は細川家の縁類により保護され、
その家臣、竹原惟成に伝授され、以後、竹原家によって今日に至っています。
明治時代、武田流第44代竹原惟路の高弟で代見格の井上平太(旧細川藩士)の系統を、
その直弟で熊本県出身の金子有鄰が、明治9年、細川俟の允許によりこれを継承、
50年間、鎌倉の地を中心に全国的に、この道統の興隆に一大足跡を残しましたが、
その後は金子有鄰の直弟で六男の金子家堅が、金子有鄰の高弟を中心に「武田流鎌倉派」として正当を維持し、
近江神宮や馬事公苑、日本中央競馬会の馬事行事等、多くで公開披露しています。


近江神宮の参道は広く直進です。


流鏑馬の的は、黒白赤黄青の五色で星を表しています。本殿での神事が終わると参道で流鏑馬です。
天長地久の式です。鏑矢を天と地に射る所作をし、国家の天壌無窮、五穀豊穣を祈念する。流鏑馬の最初は素馳です。


騎射では2番の2組に別れ、合計9本の矢で競います。


的は五色から板にかわります。少々、小さくなります。


9本の弓のうち7本の弓を命中した者だけ、最後の土器の的に挑みます。
土器の的は小さく、土器の中には五色の切紙が入っており、命中すると紙吹雪の如く飛び散ります。


三の的には多くのカメラマンさんが。


最後に凱旋の式です。
奉行がエイエイエイと唱和。一同が、オーと唱和。三度くりかえす。


御神酒をいただき終了します。みなさんの記念撮影が。


2016年におこなわれた「近江神宮流鏑馬」の様子です。

〜近江神宮〜
JR「大津京駅」下車。京津「近江神宮駅」下車。

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