竹送り(大御堂観音寺〜二月堂)

2月11日に竹送りが大御堂観音寺〜二月堂間で、行われます。(京田辺市)
昭和53年に60年に一度と言う花枯病により真竹がなくなり
二月堂は四国や九州まで竹を集めたそうです。
それを聞いた人が、山城の村の藪に、
まわりが20cm以上の真竹がある事が分かり、
持ち主に聞いてみたところ、由緒ある行事に使われるのなら、
真竹を寄進する事になったそうです。
山城松明講社員さんを中心に、参加者と共に、
昔からの方法で二月堂まで届けています。

竹送りとは、二月堂の「お水取り」の用いる真竹を
京田辺の観音寺
〜二月堂まで送り届ける行事です。
08年で31回目です。
観音寺の南西500M付近の竹藪から根付きの竹が7本掘り起こされます。
掘り起こされた竹を観音寺まで運びます。
奈良の二月堂のお水取りに使われる松明を届けます。
お水取りに211本の松明を使用します。
そのうちの7本をイベント的に届けます。
他の竹は京都や奈良から密かに運ばれます。


竹送りの予定表
観音寺駐車場に集合→ふれあいの駅→
9:00観音寺→9:30観音寺前→
10:30奈良阪→11:45転害門→13:00二月堂→解散

観音寺(京都)〜二月堂(奈良)までの行事です。


竹送りの根付き竹、7本のうち5本は、早朝に運び出されています。
2本がイベント的に、竹藪から掘られ、観音寺まで運びます。
途中、みちの駅では、大根焚きの無料接待があります。
竹を担いで、観音寺の前に置きます。7本の竹が揃いました。


観音寺で道中の安全を祈願して法要が行われます。
山城松明講社員さんが整列され、焼香を上げていきます。
2本の竹が拭かれ、字が書かれる準備をします。


墨で寄進の文字を書かれます。
竹には寄進した団体などの名前と、祈願内容が書かれています。
法要が終わると、観音寺前で整列をして竹送りが始まります。


7本の竹を持って観音寺を出ます。と、言っても400メートル行くだけですが。
7本の竹は車に乗せられ、奈良県の奈良阪まで運ばれます。


この竹送りに、一般の方も参加(有料)できます。
参加者さんは、観音寺からでも奈良阪からでも参加できます。
竹を担いで、二月堂まで歩きます。
京田辺市の観音寺からの参加者さんは、奈良阪まで車で移動します。
解散も京田辺市です。


観音寺から竹は車に乗せられ、奈良阪に運ばれます。
ここから大八車に竹を3本乗せて、あとの4本は、
大勢の人が担いで運びます。
この竹送りに参加した人は、300名前後です。
人が担ぐ竹は、入れ替わって運びます。
奈良阪から、列を作り、転害門に目指します。
奈良阪から、裏道を進みます。
新石橋付近で整列をし直して、転害門に。
転害門に到着すると、太鼓がお出迎え。
転害門の前に竹を置き少し休憩。お茶やぜんざいの無料接待があります。
休憩後、転害門を出て行き、県庁方面から奈良公園に入ります。


転害門では、本来、
奈良女子大の音楽演奏が行われる予定でしたが、
到着時間が遅れたので、コンサートは後回しになりました。
竹送りの一行が出た後は、
ガラ〜ンとなり、ちょっぴり複雑な気持ちです。
2人がステージで、2人が司会みたいな感じ。1曲だけ撮りました。


竹送りの行列は、県庁前から東大寺南大門を経て、
大仏殿の中門前で最後の休憩です。


ここから二月堂まで、あと少しです。
奈良公園の自然の中を一行は進みます。鹿もいっぱい。
二月堂に到着、いったん竹を二月堂の前でおろし、
竹置き場に、1本づつ順番に運びます。


竹置き場に竹を立てると全員で
バンザイバンザイと言って終わります。
その後、参加者さんは俳句大会が行われ、
三月堂を見学して、解散します。


竹送りの他に、お水送りと言う神事が小浜市の神宮寺で19:00に行われます。
白装束の行者さんや参拝客さんが大小の松明を持って神宮寺を出発します。
遠敷川沿いの上流の道、2キロまで行進して、法螺貝が鳴らされる時に、
僧侶さんは竹筒に入った「お香水」を川に注ぎます。
この水が、地下を通り、10日間かけて東大寺に湧き出ると言われています。


参加者さんは、後日、山城松明講社さんから、
お水取りが無事終わったとの封書が届きます。


2008年におこなわれた「竹送り」の様子です。

〜大御堂観音寺〜
バス「普賢寺」下車、徒歩5分。


京都府、2月の歳時記
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