白拍子
|
白拍子は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀を刺すと
いう男装姿で歌や舞を披露した。伴奏には鼓、時には笛などを用いた。 |
大原御幸
|
栄華に奢る平家一門は、源義経の知略により、壇ノ浦に憐れ壊滅したが、清盛の娘建礼門院(安徳天皇々母)は海に入
水したが源氏の兵に救われ、大原の寂光院に隠遁していた。哀れに思われた御白河法皇が、山深い大原に行幸され、地 獄を垣間見られた女院の姿に、人の世の浮き沈みの有様を見涙された。 |
百万
笹の段
|
吉野の男が奈良西大寺の辺りで拾った少年を連れ、嵯峨清涼寺の大念仏を見ていると、一人の狂女(西大寺の女曲舞の
名妓)が念仏の音頭を取り、「我が子に遭わせ、狂気を取り除かせ給え」と祈る。哀れに思った男が分けを聞くと、一人子と 生き別れと成り狂乱した事を憐れみ、自分の連れている子がその子と知り、仏法の力で再会を果たせた事を喜ぶ。 |
阿漕
|
日向の国の男が伊勢参宮を思い立ち、阿漕の浦(二見ヶ浦辺)で漁翁に出会い、次の苦しみを告げ消え失せた。この浦が
伊勢大神宮御膳調進の鯛を曳く禁漁の所であるのに、密漁した罪で、仲間より海に沈められ、成仏出来ず苦しんでいる事 を知る。その漁師は「阿漕」と言い、その事件の言い伝えで、今もこの所を「阿漕の浦」と言い、非道の横車を押す事を「阿 漕な事」と言われる様になった。この苦しみを救って欲しいと訴える。 |
|
|
|