賀茂観月祭(上賀茂神社)

中秋の日に、上賀茂神社で賀茂観月祭が行われます。(京都市)
中国の漢の時代に旧暦の8月15日は中秋の名月と呼ばれるようになり、
月を見て宴を開いたのが観月の始まりとされています。
賀茂観月祭は外幣殿で行われます。白砂には、招待者の椅子が50席ほど並べられています。


先着ですが、「月見だんご/にごり酒」の接待が行われるので、整理券をもらう為に17:20頃に行列が出来ています。
奉納行事が行われる前に、外幣殿で賀茂観月祭斎行が17:30より行われます。


=06年度の配布紙より抜粋=
白拍子
白拍子は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀を刺すと
いう男装姿で歌や舞を披露した。伴奏には鼓、時には笛などを用いた。
大原御幸
栄華に奢る平家一門は、源義経の知略により、壇ノ浦に憐れ壊滅したが、清盛の娘建礼門院(安徳天皇々母)は海に入
水したが源氏の兵に救われ、大原の寂光院に隠遁していた。哀れに思われた御白河法皇が、山深い大原に行幸され、地
獄を垣間見られた女院の姿に、人の世の浮き沈みの有様を見涙された。
百万
笹の段
吉野の男が奈良西大寺の辺りで拾った少年を連れ、嵯峨清涼寺の大念仏を見ていると、一人の狂女(西大寺の女曲舞の
名妓)が念仏の音頭を取り、「我が子に遭わせ、狂気を取り除かせ給え」と祈る。哀れに思った男が分けを聞くと、一人子と
生き別れと成り狂乱した事を憐れみ、自分の連れている子がその子と知り、仏法の力で再会を果たせた事を喜ぶ。
阿漕
日向の国の男が伊勢参宮を思い立ち、阿漕の浦(二見ヶ浦辺)で漁翁に出会い、次の苦しみを告げ消え失せた。この浦が
伊勢大神宮御膳調進の鯛を曳く禁漁の所であるのに、密漁した罪で、仲間より海に沈められ、成仏出来ず苦しんでいる事
を知る。その漁師は「阿漕」と言い、その事件の言い伝えで、今もこの所を「阿漕の浦」と言い、非道の横車を押す事を「阿
漕な事」と言われる様になった。この苦しみを救って欲しいと訴える。

賀茂観月祭斎行が終わると、奉納行事(18:00〜19:30)が行われます。
舞楽白拍子(平安雅楽会)
連吟大原御幸(ふたば会)
仕舞阿漕(葵会)

奉納行事の間に10分間の休憩があり、整理券の引き替えに行かれる方で、どっと混み合います。
月見だんごは、月見にしたてて、お餅が月で、あんこが雲らしいです。お店は、亀屋良長ですから美味しかったです。
その後、奉納行事ではなく、音楽フォークソングショー(澤田よしひろ 大坂城慰問楽団)などが行われました。


2006年におこなわれた「賀茂観月祭」の様子です。

〜上賀茂神社〜
市バス「上賀茂神社前」下車。

9月の歳時記
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