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宮川町(15年) |
祇園甲部(15年) |
先斗町(15年) |
祇園東(15年) |
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獅子舞 (八坂神社青年会) |
花傘巡行に際し、清めの意味を以って、金獅子・銀獅子を復活、巡行の先頭をゆく。 その作曲並びに振付は茂山千之丞氏の手になる。 |
六斎 (久世六斎保存会) |
六斎とは六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九・晦)に念仏した事から起こり能楽、歌舞伎等の影響を受け今日に至っている。 楽器は笛、三種の太鼓、鉦を使用する。 |
歌舞伎踊 (先斗町お茶屋営業組合) |
出雲の阿国が慶長八年(1603)京都の鴨川河原で演じた踊りは、京都の町衆によって支持され従来の白拍手幸若、 曲舞に狂言の伝統が深く入り込みここに近世的な演芸が確立されるに至った。出雲の阿国は出雲大社の巫女で社殿修理の為諸国を勧進したと云われている。 この姿は墨塗りの笠をかぶり紅の胸紐小露の附いた白の千早に緋の切り袴、腰には金銅の瑶珞を吊し頭には数珠と鉦をかけ手に撞木扇等を持っている。 |
小町踊 (祇園東お茶屋組合) |
当二条城と小町踊とは最も由緒深いものがありまして江戸時代の初め寛永の頃徳川将軍が朝廷の何候の節当二条城が所司代のはからいで宿舎に当てられたのであります。 其時京の町々に小さい女の子等が集まって美しく粧をこらして乳母に守られながら京の町を踊り歩いたのが始まりであります。 この歌を唄って太鼓を持ってテンテンと打ち囃して歩いたと文献にあります。 |
鷺踊 (祇園万灯会) |
鷺踊は傘鉾に付属した踊で、傘鉾の周囲を踊りながら巡行していたもので、近世になって傘鉾の中断にともない踊も中断されるに至った。 寛政年間に八坂神社より津和野藩に伝習されていた鷺踊をもとにして復興され、子供達に振付けされたのがこの鷺踊です。 祇園万灯会により昭和27年にお迎提灯が復活され、29年よりお迎提灯にこの鷺踊が参加する事になった。 |
万灯をどり (祇園万灯会) |
祇園祭音頭に奉仕の人々が生長するに従い、 その人々の為に八坂神社鈴木名誉宮司の作詞になる万灯をどりを昭和四十三年七月二十四日に花笠巡行より参加する事になった。 |
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コンチキ音頭 (宮川町お茶屋組合) |
京都の風俗や名所、それに名物等を唄い込んだ京情緒豊かなこの音頭はコンコンチキチンの囃し言葉に因んで コンチキ音頭と名付けて昭和三十九年京都市文化団体懇話会によって制定せられ光田作治氏ぼ作詞、高橋半氏の作曲で発表せられました。 然しこの音頭は歌の内容からみても音頭の形式からみても、祇園祭に最も適しく、広く京都の唄として唄われるべき楽しさを持っています。 そこで四十二年これを、今藤長十郎氏に新しく編曲し、踊も新しく振付け踊られたものであります。 |
雀をどり (祇園甲部お茶屋組合) |
「昔噺」と云う上方唄の一部にて雀をどりとして「七賢人」の中にも用いられる。 初世八千代または二世振付にて舌切雀の噺から取ったものである。 |